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サッカーのある街で生まれ育ってきた

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はじめに

記事執筆時、世の中はFIFA World Cup2022カタールで盛り上がっています。その盛り上がりの中で僕はつくづく「サッカーのある街で育ってこれて良かったな」と考えたりしています。なので今回の記事はサッカーのある街の中ではな感じの僕が“どんな体験をして育ってきたか”という個人的な内容から“サッカーがある街っていいよね”“サッカーチームがある街っていいよね”というまとめ方、それだけでなく“スポーツチームがある街っていいよね”といったまとめ方をする予定。ただ、あくまでも予定なので本当に上手くまとめられるかは謎。ていうかサッカー濃度は並だった僕が書くところがポイント。サッカーの街で育ったとしては並でも、世の中的には結構大盛かも(さすがに特盛ではいかない)。ちなみにかなり長文になるのでお暇な時にでもゆっくり読んでもられたら嬉しいです。

尚、記事内では選手名を挙げますが、今回は文章を読みやすくするため敬称略での表記とさせていただきます。記事に登場する選手の方々はとても思い入れのある好きな選手たちです、リスペクトはしっかりと持っての執筆となりますので、敬称略での表記もどうぞご了承ください。

 

 

 


 

 


 

今は佐賀に住んでいる

長女ホノカの小学校入学のタイミングで静岡県静岡市清水区から妻の故郷である佐賀県佐賀市へと移住し、来年春にはホノカの小学校卒業を迎える。時の流れの早さにしみじみ思ったり。

移住した日から時点で妻の話す言葉さえも聞き取れなくなった僕は(佐賀弁恐ろしや)、当初随分こちらでの生活に苦労した。それでも今ではもう慣れて、最近は女子バレー・Vリーグの久光スプリングスや男子バスケ・Bリーグの佐賀バルーナーズなど、佐賀をホームとしたチームの応援の楽しさを覚えて日々の暮らしの幸福感がアップデートされました。
※はじめての観戦記はこちら


久光スプリングスには推しの石井優希がいて、佐賀バルーナーズは中学高校とバスケ部だった僕は燃えないわけがない。ちなみに佐賀バルーナーズにはチアのチーム・バルヴィーナスが応援でいて、バルヴィーナスのパフォーマンスだけでも既に観る価値充分に有り(バルーナーズに燃えバルヴィーナスに萌え)

ただ久光スプリングスと佐賀バルーナーズにハマって楽しみつつも「まだまだ佐賀の街に深く浸透していく事が絶対できるよな」とも思う自分がいます(一応僕もイベンターをやっているのでぜひぜひお仕事待ってます←急に営業)。静岡は、清水は、もっともっと浸透していたぞと思ってしまうのです。

 

 

 


 

 


 

小さな頃

Jリーグ開幕

昭和56年生まれの41歳。小学校時代にJリーグ開幕。当時のあの熱量は凄かったよね。僕は清水エスパルスを応援しつつも、実は名古屋グランパスも好きだった。リネカーがレッグエクステンションというマシンでリハビリしているシーンをテレビで観て、それは当時の僕にとってとてもカッコイイ姿として記憶され、現在僕は毎朝ジムに通っているが未だ変わらずレッグエクステンションといえば「リネカー」なのです。清水出身・澤入重雄の流血ヘッドに痺れたよね。沢入重雄の親戚に頼んでサインを届けてもらったあの喜びときたら。

清水エスパルスを応援しつつ名古屋グランパスも好きとかふざけた事を言いながら更に言うと、当時のヴェルディをカッコよく思わないわけがないだろう。ラモス瑠偉のようにふわりとしたループパスをマスターしたくて必死に練習した。

本当に清水エスパルスを応援していたのか信じてもらえそうにないので書いておきましょ。加藤久が移籍してきた時、練習を見に行って色紙を洗濯バサミで挟んで紐で吊るして降ろしサインをお願いし、無事に加藤久のサインをゲットできたのは良い思い出。

 

 

学校でのサッカー

昼休みはもちろんサッカー。年に一度は校内でクラス対抗のサッカー大会があって、あれだけラモス瑠偉のループパスを真似て練習し、それっぽくできるようになったのに川口能活に影響を受けていきなり「キーパーやりたい」と駄々をこねた。熱望の甲斐があり、キーパーとしてその大会で優勝できた。執念の勝利。

川口能活に影響を受けたのは、そう、もちろん清水商業(現・桜ヶ丘高校)での全国制覇の格好良さに痺れたから。川口能活が表紙の雑誌とか買って熱心に読んだもの。あの時の清水はキヨショウ(清水人の清水商業の呼び方)の選手がどこにいるのか簡単にわかった、だってだって例えば食堂にいるとして店の外の人だかりは凄いことになっていたし。

あ、これは書く必要無いのだけど、雨の日の校庭でサッカー、センターラインからのPKという謎の遊びをして激しく空振りして腰を痛めて1ヶ月ほど松葉杖を使った苦い思い出。

 

 

 

 

放課後のサッカー

学校でサッカーをやり、そして放課後はというともちろんサッカー。少年サッカー発祥の地・清水の子どもたちの遊びはJリーグ開幕前から変わらず公園でのサッカーだった。小学生から大学生まで、とりあえず公園にいる人たち皆でサッカーをやっていた。ゴールのひとつが遊具エリアへ行く段差、もうひとつが公園入口。つまり片側は得点即ち道路にボールが飛び出るという、ホントなんて危ない設定でやっていたんだろう僕らは。でも年齢関係なくごちゃまぜで皆が楽しめた空間というのは今ではなかなか味わう事のできない素晴らしい体験だと思う。

そうそう、僕らがメインで使っていた公園の近くには当時、清水エスパルスにいたブラジル代表のDFロナウドの家があって、彼はよく息子連れて公園に来ていた。彼のまわりにはすぐ人集りができて息子は暇になるので僕らのサッカーボールを追いかけてきて一緒に遊んだ。息子、まだ幼稚園に行ってないかやっと行き始めたかくらいの幼なさだったと思うが父親のプレイの影響なのか随分激しいタックルやスライディングだった。そういえばコレも今考えたら大変失礼な話なのだけど僕はロナウドの自宅にピンポーンと突撃してしまった事がある。サインをお願いしたかったのです。で、サインを書いてと渡したのが色紙じゃなくイエローカードとレッドカード。SMAPが出演した実写版《シュート!》のグッズ(中居正広の歯がキラーンって光るあの映画ね)。激しいタックルやスライディングがウリのDFにイエローカードとレッドカードでサインを迫る。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

 

 

TVゲームだってやる

サッカーばかりやっていた学生時代、だけどもちろんスーパーファミコンでゲームやっていましたとも。マリオとかストⅡとかドラゴンボール スーパー武道伝とか。ねっ、サッカーだけじゃない。ただ、もちろんやっぱりやりまくってたよねプライムゴール、スーパーフォーメーションサッカー、エキサイトステージ。高校卒業したあたりからはウイニングイレブン。プライムゴールでセンタリングの重要性を学び、スーパーフォーメーションサッカーでは現実に近い時間設定での試合という随分体力勝負な遊びをし、エキサイトステージではLとRの同時押しを多用、壁有りのコートでスピーディーな試合展開を学んだ。大人になってからのウイニングイレブンでは悔しすぎて負けた方が「もう1試合だけ」と言い続けるので帰宅は結局日付が変わる状況に執念とそれと我慢も時には必要だという事を学んだ。やはり認めよう、ゲームもサッカー漬けだったようだ。

 

 

 


 

 


 

社会人となり

整体院オープン

2002年、日韓ワールドカップの年には自宅の一室で整体院をオープンさせた。スポーツに特化するような整体では無いし宣伝は全くしていない、もっと言うなら2010年ぐらいからタウンページからも消し完全紹介制にしたがご縁あって清水エスパルスの選手数人と藤枝MYFCの選手数人の施術を担当させてもらっていた。そういえば某チームの社長の施術もさせてもらった事あった。ご縁に感謝。

整体院は何度か移転してマンションの一室を施術所とした時もあったが、そこに来院した当時エスパルスの外国人選手は僕が常に玄関を開けっぱなしにしている事を「信じられない、母国なら1時間で家財全て持っていかれてる」と驚いていた。確かに今の僕も当時の自分に「せめて扉は閉めておこう」と説教したい。ちなみにこの外国人との会話は事前のLINE(LINE翻訳使用)会っている時はとにかくジェスチャー。そう、僕は英語が出来ないのだ(どれくらい英語が出来ないかはこちらの記事をご覧ください→《英語は苦手なのですがフランス語がわからなかったのはまぁ仕方ないと思います》)

更に書くと、英語が出来ないにも関わらず、この外国人選手の移籍先近くへと旅行に行く機会では「近くに行くけど整体どうでしょう」とコンタクトをとり、そして駅からの送迎をしてもらい彼の御自宅で施術させていただいた。ジェスチャーしか出来ないくせにこの行動力、我ながら素晴らしい、かつアホすぎる。

更に更に書くと、この外国人選手からある時「監督が紹介してくれと言っている」的な事を伝えられたので僕は名刺を渡し、それが“チームのため”なのか“監督個人の施術のため”なのか定かでないにも関わらずワックワクしながらその後の展開に待った。ワクワクどころじゃないワックワク待った。待った結果、翌週監督の解任が発表され僕は絶望した。

 

 

選手が普通に街にいる

佐賀に移住してからは仕事で佐賀と静岡を往復する日々。ホテル滞在だったり施術所滞在だったりで今でも清水へ通っています(2020年以降、流行りの病のため静岡入り期間が回数・日数ともに激減しています涙)

ホテル滞在をしていた頃は対戦チームの面々がよく宿泊していて、横の席で選手たちが食事をしていようとも僕は全く気にせず食べていたのだけど、ある時に横で談笑している若手選手のところへ小野伸二が近づいてきて、さすがに横で小野伸二が話しているなんて、世代的にドンピシャな小野伸二がいるなんてドッキドキしたわ。ドキドキじゃないドッ…(しつこい)。ちなみに小野伸二は清水商業時代、彼と似たようなエリアで僕は中学に通っておりました。

対戦チームが滞在の際にはよく選手たちが近隣を1〜2人でそれぞれ散歩しているのだけど、前年リーグ優勝したチームが宿泊した際、朝食後のラウンジで1人が「今から散歩行くけど一緒に行くひとー?」という呼び掛けに「行く」「俺も行く」「はい俺も」と答えていて、ついつい「部活のノリかっ」と全く関係ない僕が横でツッコミそうになってしまう場面があった。でもすごく印象的で、きっと相当にチームの雰囲気が良いからこその会話だと思う。

もちろん対戦チームだけでなく清水エスパルスの選手たちが普通にそこで暮らしているのがすごく良い。佐賀への移住前に住んでいた場所では向かいのマンションにも、その横の横のマンションにも選手が住んでいた。ガソリンスタンドで給油したら横で給油しているのが選手で「あ、セルフなのね」と思った。最近になりプロサッカーを観る事の楽しさを知った息子ミツナリが今でも清水に住んでいたら、近所で選手に会えて日々テンション爆上がりだったと思う。

近所に住む選手との思い出というと恥ずかしくて忘れられない思い出がひとつ。当時、僕の滞在先へ毎日のように顔を出す選手がいて、毎日のように見かけていたのだけど、僕は挨拶するべきか毎回悩んで。とりあえず毎回挨拶はしてなかったと思う。時々「こんにちは」くらいあったかもしれないけれど基本挨拶はなかったと思う。でもいつもお互い同じ場所で会っていて、しかも共通の“お世話になってる人”がいる場所で会っている、更に書くと滞在先は妻の元職場なので妻はよく対応させてもらってたのでそういう意味でもお世話になってるから挨拶しないのも変。とかホントその頃、どういうスタンスをとればいいのか悩んでいたんだけど、悩んでいるうちにソレは起きたのです。コインランドリーからカゴを洗濯物を入れて滞在先に戻ろうと歩いていたら反対方向からその選手が家族で歩いてきて。ここは滞在先でもないし家族サービス中だろうしスルーでと、すました顔で通りすぎようとした瞬間気付いた僕の洗濯カゴからエスパルスのタオルが垂れてる。10番。大前元紀。

わかります?毎日のように顔を合わせているのに時々の会釈程度、基本はエスパルスの選手だからって反応するわけでもなかった男が大前元紀のタオル持って歩いているんです。「済ました顔してファンじゃん、しかも俺じゃなくて元紀かよ」みたいな。超ハズい。貴方の番号じゃなくてごめんなさいみたいな気持ちもあってすごく複雑な思い。僕はとにかく恥ずかしかった。滞在先に戻ってからも恥ずかしさが消えなくて、その選手に共通の知り合いから「違うの、今のタオルは違うの」的な謎の弁明を伝えてもらった。動揺しすぎて一気に共通の知り合い3名に送ってしまい、結果3人から同じ内容が届いた選手にとっては大変迷惑な話だったと思う。でもでもとにかく、ホントとにかく恥ずかしかったのです。

 

 

 


 

 


 

試合観戦

チケット購入

実はサッカーの試合のチケットを自分で購入したのはまだ1回しかなかったりします。いや記憶が曖昧で購入を覚えていないだけかもしれないのだけど、とにかく毎回友人知人、仕事関係や選手などからプレゼントしてもらったもので観戦させてもらっていて。

唯一、どうしても観たくて購入したのはサテライトの試合。清水工業高校在学中の市川大祐が出場するとの事で観たくて観たくて。

小学生の頃初めて観に行ったのは父親が会社からもらったガンバ大阪戦。僕はめちゃくちゃ楽しんだのに野球派でサッカーに興味が無い父のリアクションが相当に悪かったのだろう、以後、我が家に会社からのチケットが回ってくる事はなかった。

選手からの招待での観戦の際にはお世話になっている方の車に乗り2人で行くと聞いていたのに直前「諸事情で追加2人、スタジアムまで乗せていく事になった」と伝えられ、いきなりの相乗りとなった。追加の2人はオーストラリア人で、うち1人は元オーストラリア代表との事で随分と話は盛り上がったが、ほら、何せ僕は英語が出来ないのでお世話になっている人に通訳してもらうしかなく。結局、あの元代表は誰だったのだろう。

カタールでのワールドカップでは息子ミツナリの成長を感じることができたのでぜひ来シーズンはサガン鳥栖の試合か、または静岡帰省時に清水エスパルスの試合のチケットを購入し、2013年以来のスタジアム観戦をさせてあげようと思います(2013年時、息子は1歳になっておらず観戦の記憶はナシ)

 

 

 


 

 


 

サッカーのある街

サッカーのある街で生まれ育つ経験ができて僕はとても良かったと思う。それはその時その時にはきっと理解できてないと思うのだけど、後々振り返って「人生を豊かにする体験だったな」と強く感じるのです。僕は清水で生まれ育ってきてよかった。

僕の育ってきた街ではサッカーがあった。他の地域には無いかもしれない。でも野球があるのかもしれないしバレーなのかもしれないバスケかもしれないラグビーなのかもしれない。まだ知らないローカルな競技もあるかもしれない。

今、自分がこの年になって、そして親になって強く思ます。僕はそういう体験の中で暮らしたいし、子どもたちにもそれぞれの形でいいのでそういう体験をしてほしいなと。

 

 

おわりに

今後はスケジュール的には時々となってしまいますが久光スプリングスの試合を、佐賀バルーナーズの試合を、観に行きたと思います。もうひとつ、佐賀にはハンドボールチーム・レッドトルネードもあるようなのでそちらも体感してみます。来シーズンのサッカーも楽しみだ。

皆さんがお住みの地域にはどんなスポーツがありますか。もしあるのならばぜひぜひ足を運び、応援し、楽しみ、地域を盛り上げるような素敵な体験で、日々の暮らしの幸福感を感じてくださいませ。

 

 

 

おまけ

小学生時代はコレを着てサッカーをしたりした。Jリーグ開幕から何年目のものだろう?オールスターのレプリカで親戚のオジサンからの誕生日プレゼント。今もなお残っている唯一の小学生時代に貰った誕生日プレゼントなんじゃないかな。宝物。

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記事紹介

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