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 短編小説集《ショートストーリーズ》
“頬”

作品情報
ジャンル:ヒューマンドラマ

 あらすじ
3年前家具職人としての仕事をやめてからも、男の生活はあまり変わらなかった。今年の春、妻がこの世を去り一人での暮らしとなった後も、男の生活はあまり変わらなかった。そんな男は、大晦日もあまり変わらずに過ごしていたのだが___

ボイスブック
この作品はアクター・竹田雄祐により音声化されています。ぜひボイスブックを聴きながらお楽しみください。

 

 


 大晦日の朝、男はいつもと変わらず部屋の掃除をしていた。大掃除などする必要もないほど男の家は綺麗だった。
 家具職人をやめて3年経つが、それでも未だに男のもとには家具を作ってほしいという“お願いごと”をしてくる“昔の客”が後を絶たなかった。
 こんな年末なのに、いや、こんな年末だからなのか、男は昨日まで“お願いごと”の家具作りに追われていた。ようやく今年の“お願いごと”が片付いたのは昨日のことだった。


 男の朝は美味しい味噌汁で始まる。男はこの家に今、一人で住んでいるが料理に困ることはない。男の料理はいつ誰が来ても大丈夫なほどの腕前だった。掃除もしっかりとゆき届いている。もっと言ってしまえば、洗濯も買い物も、年金のやりくりさえもしっかりしていた。
 妻・早苗が世を去ったのは今年の春のこと。早苗は長年、病を患い寝込みがちだったが、男の支えにより最後の最後まで笑みを絶やさなかった。

 3年前、家具職人をやめた時、男の生活はあまり変わらなかった。やめる前もやめた後も変わらず朝は5時半に起き、温かいお茶を一杯のみ、朝食を作った。野菜を少しだけいれた赤味噌の味噌汁と焼き魚。焼き魚には鮭か柳葉魚を選ぶことが多く、そして白いご飯と決まって目玉焼きを食べた。朝食のあと、掃除をし8時には工房に入る。もっとも、やめた後は 少しだけ“お願いごと”を楽しむ余裕もできたのだが。
 そして夕方4時には片付けまで終わり、歩いて5分のいつもの飲み屋で日本酒を少しだけ呑んだ。毎日、飲み屋の最初の客はもちろん、この男だった。というよりも、この男のためにいつも4時から店を開けていた。大将もまた、この男との会話を楽しみにしていた。話が弾み、長くなりそうな時も男は変わらず決まって5時半に店を出た。いつもの小さなスーパーであらかじめ決めておいた食材を買い、家に着くと手早く夕飯を作り7時には早苗と二人で食べ、夜10時半には眠りについた。

 

 今年の春、早苗が世を去った後も、男の生活はあまり変わらなかった。5時半に起きると温かいお茶を一杯のみ、朝食を作り一人で食べた。掃除をして8時には工房へ。午後4時には片付けも終わり、いつもの飲み屋へと行ったし、誰も待つことはなくとも7時には夕食を食べた。“妻を亡くしたから生活に困る”ということなど、男にはなかった。
 男の生活は変わらなかったが、離れて暮らす娘・冴香は男のことが心配だった。ここ数年、夫婦共働きの冴香にとって年に一度、お盆の時期を終えたあとにやっと貰える遅めの“夏休み”だけが唯一の里帰りだったが、早苗が世を去って最初の夏も、なにも変わらないかのように過ごしていた男の姿に心配を感じてならかった。
「こっちで一緒に暮らそう、野乃香のことも面倒見てもらいたいし。」
 夏休みの後、冴香は電話でそう提案した。少し考えてみると言いつつも
「ノノちゃんの保育園の送り迎えが日課になるかな。」
 と電話ごしの男は笑っていた。
 10月に入ってすぐの頃、冴香に届いた男からの電話は
「そっちにいってみようかな」
 という、冴香にとっても嬉しい知らせだった。
「まずは送り迎えの道を覚えなきゃな。」
 と男は笑っていた。冬の間に家の物をゆっくりとまとめ、4月には引っ越すということで決まった。


 今年の大晦日は男にとって、この町で迎える最後の大晦日だ。それでも男は朝8時、いつも通り工房に入った。今年の“お願いごと”はもう、昨日までに全て終えていたが男は工房に入った。隙間風の吹き込む工房で男は入念に道具の手入れをし、物想いにふけ、ゆっくりゆっくりと過ごした。
 午後4時に男は、いつもと同じように工房を出た。道路はいつもと違い、少しだけ白く染まっていた。男は立ち止まり、右の掌を胸の前で広げた。掌に落ちた白はすぐに溶けた。
「雪かぁ…。」
 この町に雪が降るのは8年ぶりだった。手袋は穴が空き、親指は飛び出てしまっていた。少しずつ湿っていく薄い手袋を眺め、少しずつ濡れていく親指を眺め
「さすがに新しい手袋を買ってこなければなぁ。」
 と一人笑って、空を見上げた。
 ポツリポツリと見上げる顔に白が降りてきた時、聞き慣れた声が響いてきた。
「ゆっきだぁ!」
 男は驚き、振り返った。走りづらそうに、それでも必死に走り寄ってくる野々香の姿があった。
「ゆっきだぁ!」
 野々香の少し後ろを歩く冴香が、野々香の真似をして叫んだ。
「きちゃったぁ!」
 男が、どうしてここに、と聞くよりも早く冴香はまた同じ口調で叫んだ。
「きちゃったぁ!」
 男の側まできた野々香は抱きつきながら叫んだ。
 男はしゃがみこんで野々香を抱きしめた。男の頰と野々香の頰が触れ合うと、野々香は言った。
「あったかいねっ、じぃーじ。」
 男はハッとした。野々香の頬に、言葉に、気がついくことができたから。自分の体が、心が、冷えきっていたことに気がつくことができたから。
「あったかい…ははっ、そうだな、あったかいな。」
 男の目から涙が溢れ、それはもう男には止めることなどできなかった。
「お父さん、泣きすぎだよ。」
 冴香も泣いていた。
「どうして泣いているの?悲しいことがあったの?」
 野々香は心配そうに男に聞いた。
「違うよ、嬉しいことがあったんだよ。とってもあったかくて嬉しいことがあったんだよ。」
 野々香の頰の温かさを感じとりながら男は言った。
「わかった!野々香が来たからだ!」
 野々香は嬉しそうに言った。
「そうだよ。ノノちゃんが来てくれたからだよ。」
 男は強く野々香を抱きしめた。
「ノノちゃん、じぃーじのおうちでゆっくり楽しんでいってね。」
 男はゆっくりと語りかけた。
「ノノちゃん、じぃーじのおうちはね、これからもここだからね、春も夏も秋も、そして冬も、いつだって来ていいからね。」
 小さな野々香でもわかるように、ゆっくりゆっくりと語りかけた。
「来たばっかなのに、じぃーじ変だよー。」
 野々香は不思議そうに笑った。
「ちょっと!お父さん一緒に住むって…。」
 冴香は驚いて、そう言ったが、それ以上言うのはやめた。男の顔をみたら、もう心配しなくても大丈夫だと冴香も感じとることができたから。
「そう簡単に世話になってしまったら、父さんはアイツに怒られてしまうからな。」
 男は笑った。
「もぅ。」
 冴香は仕方なさそうに笑った。
「あっ!じぃーじの手袋、穴空いてる!」
 野々香は大きな声で笑った。

 

 

 

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《頬》お楽しみいただけましたでしょうか。これは僕が物語を書き始めてすぐの作品、短編小説としては一番最初に完成した作品です。その数日前に完成させて初めての童話《なにかのたまご》と共に、自分の原点と言える物語です。ちなみに、作者といては題名を《ホオ》だと認識してます。でもおそらくほとんどの方は《ホホ》だと思っているでしょう。これはですね、ハッキリ申し上げますと、どっちでもいいです。お好きな方で読んでください。なんか適当でごめんなさい。

 

 

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別のアクターでも作品をお楽しみください。

■アクター:ほりのうちひろ

 

 

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