「の方がマシ」という時の“マシ”を僕は使わないようにしている。数年前、トラウマ並に1番大嫌いな言葉だったのだけど、最近はその気持ちも薄まって“大嫌いではないけれど僕は使わない言葉”となった感じかな。
5年前九州に移住して周りが九州弁で何を言っているのか全くわからずに苦しんでいた頃、聞き取れたら聞き取れたで僕を苦しめたのが“マシ”という言葉。あまりにこの言葉に過剰反応した僕の感覚的には九州の50代以上、歳が上がるほど“マシ”という言葉を頻繁に使うイメージ。
“マシ”って「アレよりはソレの方がマシ」というように、グッドじゃなくベターなんだよね。僕としては何を聞いても何をしても「ソレがマシだね」と返ってくると、例え相手が悪い意味を含まずに言ったとしても「なんだかなぁ」と思ってしまうのです。
そう、相手は悪い意味を含んでないんですよ、おそらく。でも、そもそも思考が「ソレの方がマシ」というように、ベターを選んでゆくようにできているんですね。ベター思考なのです。
僕はベターより、グッドやグレイト、エクセレントを選びたい。グッドグレイトエクセレント思考、GGE思考なのです(もうちょっと良いネーミング思いつかなかったのか)。
とはいえ、冒頭でも書いた通り、“マシ”への嫌いな気持ちは薄くなって、その理由はというとなんとなく気付いた事があるからで。
歳が上がれば上がるほどまだ豊かでなかった時代を過ごしてきて、その生きる過程ではグッドばかりを求める事が出来なかったんだろう、ベター、ベター、ベターを重ねて少しでも良いように進んできたのだろうと。あくまでも僕の中の推察なのでその分析が本当に正しいのかはわからないけれど、でも想像する“そうやって生き乗り越え成長してきた過程”はカッコいいなって。
ただ、それでも僕は。やはりこれからも“マシ”という言葉を使わずに生きたい。グッドやグレイト、エクセレントを選んで生きていきたい。GGE思考のまま進んでいきます(だから名前もうちょっとどうにかならないのか)。
そして、例えばウチの子ども達もそう。次の世代。これだけ多様化した時代で生きていく次の世代達には、こんなにも沢山自由な選択肢がある中でベター思考でしか選べないは少し悲しいかな。「コレの方がマシ」じゃなくて「コレがいい」で選択をしていってほしいなと思ったりします。僕はそんな選択を見れたならその時には「ソレいいね」と言いたいな。
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